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東京高等裁判所 昭和61年(う)201号 判決 1992年7月29日

主文

本件各控訴をいずれも棄却する。

被告人乙に対し、当審における未決拘留日数中一三〇〇日を原判決の本刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人藤澤抱一、安田好弘、武笠正男、金和夫、尾嵜裕連名の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官吉川壽純作成の答弁書に、それぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。

所論は、訴訟手続の法令違反及び事実誤認の主張である。その要旨は、原判決は、「罪となるべき事実」第二において、被告人両名が、昭和五五年三月二一日午前一時過ぎころ、埼玉県南埼玉郡宮代町の判示A方に侵入し、就寝中であった同人の妻B(当時五一歳)及び帰宅した長男C(当時二二歳)をいずれもビニール紐で絞殺して、現金約一四万円など在中の手提げ金庫を強取した上、さらに、右犯行を隠すため、室内に灯油をまきフライパンのサラダ油を加熱発火させるなどして台所に放火し、右家屋の一部を焼いたという公訴事実(以下、本件という。)について、被告人両名の有罪を認定し、第三の事実と併せて、被告人甲に対し死刑を、同乙に対し第一の一、第三の各事実と併せて無期懲役を、それぞれ宣告した。しかし、被告人両名は本件について全く無実である。原判決は、任意性のない被告人両名の捜査段階における自白調書及び上申書(以下、供述調書等という。)を訴訟手続に関する法令に違反して採用し、また、関係各証拠の評価を誤った結果、重大な事実誤認を犯したものであって、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

しかしながら、原判決が挙示する証拠によれば、原判示被告人らの本件犯行を優に肯認することができ、原判決の認定判断は、「弁護人の主張に対する判断」において説示するところも含め、正当として是認することができるから、原判決に所論の訴訟手続の法令違反及び事実誤認は認められない。

以下、所論にかんがみ、検討を加える。

第一  被告人甲の捜査段階における供述調書等の任意性を肯定した原判決の説示を論難する主張(控訴趣意第二の一)について

一  所論は、被告人甲の捜査段階における供述調書等の任意性について、以下のとおり主張する。

その要旨は

1  被告人甲が本件犯行を初めて自白した昭和五五年五月八日(以下、「昭和五五年」については、原則として記載を省略する。)の日光警察署における取調べは、取調官らが被告人を動けないようにして、三、四時間にわたり、上半身を前後に揺さぶり、腕を振ったり肩をたたくなどして自白を迫り、調べの途中出入りした刑事が被告人の頭髪をつかんで前後に振るなどの暴行を加えている。また、取調官のG警部補は、「証拠が全部そろっているのに否認しているから、せっかく日光事件を素直に認めているのに無駄になっちゃうぞ。」「おれの気持ち一つでどうにでもなるんだ。」「埼玉の刑事はこんなもんじゃないぞ。お前が言わなかったら、おっかない刑事に引き渡す。」などと言って、被告人を脅迫、誘導した。さらに、当日は、午前九時半ころからポリグラフ検査を実施した後、昼食も取らせないまま本件について取調べを始め、夕食時間近くまで休息なしで取調べを続け、夕食後更に深夜近くまで取調べを継続した上、調書を作成したものであるが、被告人は、当時、持病のヘルニアが悪化し、精神的にも孤独・不安な状況にあり、右のような強制・誘導下での長時間の取調べにはとうてい耐えられない心身の状況にあった。

2  その後の取調べ状況については、①五月九日の取調べの際は、前日の強制・誘導による取調べを体験した被告人が、真実を述べることができずに虚偽の自白を続けたものであり、また、同月一〇日付け及び同月一三日付け各上申書作成の際は、日光警察署の警察官が同席していたため、埼玉県警の取調官の指示どおりに記載したものである。②同月二〇日に大宮警察署に移監された後の埼玉県警による取調べは、真実を述べようとして一部否認する被告人に手錠をかけたまま取調べを行い、耳元で大声をあげて怒鳴ったり、突然机をたたくなどし、その後全面否認した後も同様の取調べを繰り返したものである。③六月七日のD検事の取調べの際は、同検事が被告人に対し、「この事件は、このまま行くと死刑になる。助かる道は今ここで認めるしかない。証拠は山ほどある。」などと述べて自白を強制・誘導したため、被告人は、絶望的な気持ちになり、再度虚偽の自白をするに至ったものである。

3  これに対し、原判決は、取調官らの公判廷の供述を根拠に、右のような強制・誘導などの事実は認められないとして、弁護人の主張を排斥した。しかし、取調宮らの右供述は、当時、栃木県警においても、埼玉県警から得た捜査資料によって、被告人らが本件の犯人ではないかとの予断を持ち、被告人甲を何とか自白に追い込もうとして取調べに臨んだ状況、五月八日付け司法警察員に対する供述調書添付の図面は、実際は、取り調べの数日後に書かせたものを、日付を取調べ当日に訂正させ、いかにも任意の供述・作成であるような体裁を整えている事実及び被告人甲は、大宮警察署での取調べの際、耳の中にちり紙を詰めていた事実などを考えると、とうてい信用できるものではない。原判決が被告人甲の供述調書等の任意性を肯定する根拠として説示する諸点は、論理自体不当なものや証拠の評価を誤ったものであり。被告人甲の右供述調書等が任意性を欠き、証拠能力のないことは明らかである、というのである。

二  しかしながら、被告人甲の供述調書等の任意性を肯定した原判決の判断は、その理由についての説示も含めすべて正当として是認することができる。すなわち、原判決が挙示する取調官らの原審公判廷の各供述を総合すると、以下のとおり認められる。栃木県警の捜査官らが被告人甲に対し、所論の暴行・脅迫などを加えた事実は何ら認められない。同県警捜査官が本件について被告人甲を取調べたのは、アリバイの点について被告人によく聞いてもらいたいという埼玉県警からの嘱託に回答することが主眼であった。栃木県警捜査官としては、日光事件(第三の事実)と本件の手口の類似性には注目していたが、本件についての容疑は半々と見ており被告人を犯人と断定していたわけではなく、取調べの目的から見ても、被告人甲に是が非でも自白させる必要はなかった。むしろ、日光事件への影響を懸念して、本件の取調べでは任意性の保持に留意の上、真実の供述を得られるよう配慮しながら取調べを行った状況を認めることができる。また、埼玉県警の本件捜査の経過を見ると、同県警の捜査官らとしては、当初、被告人甲に対する容疑については半信半疑であったものの、同被告人の極めて具体的で迫真性に満ちた供述によって、一挙に捜査上の不明な点の解明が進むとともに、他方、犯行を自白したAの供述とを比較検討した結果、被告人らの供述の信用性を次第に確信するに至った心証の推移、殊に、被告人甲の自白の真実性を探るため、当時、A犯人説に傾いていたH警部補を日光警察署に派遣した際、同警部補は、被告人甲に対し、本件ではほかにも犯行を自白している人間がいるが、それでも君達二人でやったと言えるのかなどとその供述態度を試す質問をしてみたが、同被告人の態度には全く動揺が見られなかったことなどの状況を如実に窺うことができる。

このような本件捜査の経過に徴しても、栃木・埼玉県警の取調官らが、当初から被告人甲を本件の犯人と決めつけ、強引に自白に迫ったという事情は考え難いところである。また、同被告人が大宮警察署に移監されてから、いったん否認に転じた後、再び自白に戻った経緯については、取調べに当ったD検事の原審公判廷の供述及び被告人甲の六月九日付け検察官に対する供述調書によれば、条理を尽くした説得の結果、涙ながらに自白を始めた同被告人に対し、同検事は、自白の結果の重大性について注意を促した上、更に三〇分の猶予時間を与えたが、同被告人は、事実をありのまま話して楽になりたいという気持ちから自白の態度を変えず、その後起訴に至るまで自白を維持していることが認められる。被告人甲自身も原審公判廷で、D検事から無理な取調べは受けていない旨供述していることや同被告人がいったん殺人の点だけを否認した後、改めて全面否認に転じるなど極めて不自然・不合理な供述態度をとっている状況なども右再自白の際の状況を裏付けるものと言うことができる。

そうすると、原判決が取調官らの公判廷の供述によって、暴行・脅迫ないし誘導などの事実を否定したことは、これら捜査の状況に照らして是認することができるし、その他原判決が任意性を肯定する根拠として説示する諸点は、いずれも右取調官らの供述を裏付けるものとして、首肯するに足るものというべきである。

所論は、被告人甲の五月八日付け供述調書の末尾に添付された図面は、任意の供述であるような体裁を整えるため、その二、三日後に定規を使って同被告人に作成させたものである旨主張するけれども、五月八日の取調べ当日図面を書いた事実は、同被告人の原審公判廷における供述からも窺われるところであって、関係証拠によると、所論指摘の日付の点は、誤って九日と記載した被告人が、取調官の指摘を受けて八日と訂正したものであることが明らかであるから、所論は失当である。

また、所論は、大宮警察署移監後の取調べの際、被告人甲が耳せんをしていた事実は、取調官のEも原審公判廷で認めているから、耳元で怒鳴られたという同被告人の弁解は否定できない旨主張するけれども、右E証人の供述によれば、同被告人が耳せんをした理由は、母が受ける衝撃を思いやり、耐えられず否認に転じたものの、同被告人としては、取調官の話をまともに聞けば再び自白に戻ってしまうことを恐れたためであるというのであり、前示のような捜査の経過、殊に検察官に対して再度自白をした際の状況などにかんがみると、同証人の供述内容も十分納得できるものと言うことができるから、右の所論も失当である。

その他、所論が被告人甲の供述調書等の任意性についての原判決の認定判断を種々論難する諸点は、いずれも右認定を左右するものではなく、同被告人の供述調書等の任意性を肯定した原判決の認定判断及びこれを証拠として採用した原裁判所の措置は正当であって、何ら違法はないから、所論はすべて失当である。

第二  被告人乙の捜査段階における供述調書等の任意性を肯定した原判決の説示を論難する主張(控訴趣意第二の二)について

一  所論は、被告人乙の捜査段階における供述調書等の任意性について、以下のとおり主張する。

その要旨は

1  被告人乙に対して、強引な取調べが行われた疑いが大きく、自白の任意性には疑問がある。

2  被告人乙が作成した上申書や同人の供述調書の体裁や内容を見ると、上申書が素人には無理な形式内容となっていたり、また、上申書も供述調書も、重要な事実に関する内容の変遷が多く見られるなど、捜査官により不当な誘導が行われた形跡が明らかである。

3  被告人乙は、捜査段階の一時期、警察官に対しては自白しながら、検察官に対しては否認するといった極めて特異な言動を示しており、この事実は、取調べ当時被告人乙が精神分裂病であったことを疑わせるとともに、警察官による特に強引な取調べが行われた事実をも窺わせるものであって、任意性に問題があり、証拠能力を否定すべきである。

4  これに対し、原判決は、被告人乙が、供述調書の読み聞けを受けた上、異議なく署名・指印していること、上申書も自分で作成しており、その形式・内容に照らしても、取調官の強制・誘導によるものとは認め難いこと、本件の取調べ当時被告人乙が精神分裂病にかかっていた事実を疑わせるに足る証拠はないばかりでなく、本件取調べに接着して行われた日光事件の供述調書の任意性には争いがないのに、本件の取調べの時だけ精神障害のため任意性がないというのは不自然であることなどを根拠に、すべて任意性を認め、証拠として採用した。しかし、原判決の右根拠は、その論理自体不当であるか、証拠の評価を誤ったものといわざるを得ず、被告人乙の供述調書等が任意性を欠き、証拠能力のないことは明らかである、というのである。

二  しかしながら、被告人乙についても、取調官らは原審公判廷において、いずれも、暴行・脅迫などの無理な取調べをしていないことを明確に供述している。のみならず、当時、栃木県警としては、既に日光事件について被告人両名の自白を得ていた上、本件については、埼玉県警の嘱託に回答する立場にあったに過ぎず、また、被告人らを本件の犯人と断定し、是が非でも被告人両名の自白を得ようとしていたわけではなかったこと、埼玉県警においても、当初から被告人両名を犯人と決めつけていたわけではなく、むしろ、Aの自白によって同人を被疑者として取り調べていた関係から、被告人両名の自白の真実性を慎重に見極めざるを得ない立場にあったことは、前記のとおりであって、これらの事情を考え合わせると、右取調官らの供述は首肯することができる。そして、関係証拠によれば、被告人乙は、五月八日の栃木県警の取調べの際は、取調官から、あらかじめ、被告人甲が自白していること及び被告人乙に対するポリグラフ検査の結果が陽性であったことを告げられた上で事情聴取を受けたが、三時間近く否認を続ける間に、日光事件の取調べの際と同様、甲の供述内容や警察が把握している証拠など、手の内を見極めるような態度をとった上、兄貴が言っているなら仕方がないと自白を始め、その後の取調べに対しても、平静な態度で自白を維持していたこと、岩槻警察署に移監された後の五月二三日ころから、被告人乙は、アリバイを主張して犯行を全面的に否認するようになったが、取調官のF警部補が、右アリバイとして主張する事実は、事件当日とは別の日のことではないかと追及したところ、同月二七日になって再度自白するに至ったこと、その後被告人乙は、右F警部補に対しては犯行を認めながら、検察官に対しては犯行を否認するという態度を続けたが、右アリバイとして主張する事実は犯行の三日前の出来事であることが判明したため、六月六日、検察官からその点を追及されると、返答に窮して全面的に犯行を自白するに至ったこと及び被告人乙が右のように全面否定した理由は、失敗しても失うものはないと思ったからであり、また、警察官と検察官に異なった供述態度をとった理由は、そのように異なった供述をしておれば、何とかごまかせるのではないかと思ったからであることなどの事実が認められ、被告人乙の本件捜査当時の精神状態についても、右のような取調べの状況その他関係証拠に照らし、精神分裂病を疑わせる状況は何ら窺われない。

これら取調べの状況ないし捜査の経過にかんがみると、被告人乙の供述調書等についても、その任意性のあることに疑問の余地はなく、その他所論指摘の諸点も右認定を左右するものではないから、右調書等の任意性を肯定した原判決の認定判断及びこれを証拠として採用した原裁判所の措置は正当であって、何ら違法はない。所論はすべて失当である。

第三  被告人甲の供述調書等の信用性を肯定した原判決の判断を論難する主張(控訴趣意第三)について

一  所論は、被告人甲の捜査段階の供述調書等の信用性について、以下のとおり主張する。

その要旨は、被告人甲の自白調書等は、捜査官の強制と不当な誘導によって供述させられた、同被告人が体験していない虚偽の事実を内容とするものである。すなわち、捜査官は、客観的に明らかになった事実については、これに合わせた供述をするよう強引に誘導し、そうでない事実については、あらかじめ捜査官が作り上げた筋書きに従い、被告人らの一方の供述に他方の供述を合わせる方法で調書を作成したものであって、調書には、原判決がいうような秘密の暴露は存在しない。被告人甲の自白は、新聞報道で得た知識や本件以前の経験に基づき、被告人の想像と捜査官の誘導によって作り上げられたものであり、また、検証における犯行再現も、捜査官の誘導によって教えられたところを、そのまま実演したに過ぎないから、自白の信用性を担保するものではない。かえって、右のような想像と誘導に基づく供述の結果、被告人甲の自白には、後記のとおり、客観的事実との不一致、重要な部分における供述の変遷、被告人乙の供述との不一致及び供述内容の不自然・不合理など疑問の点が数多く存在しており、とうてい信用性を認めることはできない、というのである。

二  しかしながら、被告人甲の供述調書等の信用性を肯定した原判決の判断は、当裁判所も、正当として是認することができる。

すなわち、被告人甲の供述調書等には、後記のとおり、所論指摘のような疑問の点は存在しない。被告人甲に対する栃木、埼玉両県警の取調べに所論のような無理がなく、被告人が本件犯行を任意に供述していると認められることは、前記のとおりであって、このこと自体からもその信用性が強く窺われるところであるが、これに加えて、その供述内容を見ると、原判決が説示するところも含めて、秘密の暴露に当たる部分のほか、被告人甲の供述の結果、栃木県警の捜査官が初めて知った事実、あるいは、埼玉県警の捜査官の方でも、初めてその原因ないし事柄の意味を理解できたことによって捜査の合理的解明が進んだ事実、犯人でなければ供述できない迫真性ないし臨場感に満ちた事実など信用性が極めて高いと認められる部分が数多く存在している。そして、このように被告人甲の自白が、犯行に関連して自ら体験した事実を率直に述べていることは、同人の検証時における犯行再現状況及びこれを記録したビデオテープからも裏付けられているということができる。これらの供述が、すべて、捜査官の筋書きによって作り上げられた架空の事実であるばかりか、犯行再現も捜査官に教えられた事実を実演して見せたに過ぎないなどという所論は、とうてい首肯できるものではない。

以下、所論にかんがみ、主要な点について、その理由を付加する。

1 秘密の暴露の存在について

被告人甲の供述中には、原判決が指摘するものも含めて、次のようなあらかじめ捜査官の知り得なかった事項で、捜査の結果客観的事実であることが明らかになった部分が存在し、このことから被告人甲の自白の信用性は極めて高いものということができる。

(一)  記念硬貨の存在

原判示の経過のとおり、被告人甲は、六月七日のD検事の取調べに対し、被害者方から奪って来た手提げ金庫の中に記念硬貨が五、六枚入っており、そのうち二枚くらいを乙にやり、残りの三枚を自分が取って自宅六畳間の整理たんすの上に置いた旨供述した。右供述に基づき翌八日母I方を捜索した結果、段ボール箱に入っていた小箱の中から、本件で押収された大阪万博及び天皇在位五〇年の記念硬貨各一枚(以下、本件記念硬貨という。)が発見された。本件記念硬貨は、被告人甲が述べた自宅六畳間の整理たんすの上に置いてあったのを、四月二八日、別居中の妻Jが同じ場所にあった小箱にブローチと一緒に入れて押入れの中にしまい、その後五月二九日、母Iが右の小箱を入れた段ボール箱ごと同女方に運び込んでいたものである。そして、本件記念硬貨を見せられたAは、同人方の手提げ金庫の中にあったものと同一であること及び記念硬貨のことはそれまで捜査官から聞かれなかったため述べる機会がなかったものである旨供述し、また、Jは、四月二〇日の被告人甲方捜索に立ち合った際、初めて前記整理たんすの上に置いてある記念硬貨三枚を現認しており、その前の三月上旬ころ、春の洋服を取りに帰ったときは、まだ、右の記念硬貨はなかったこと及び甲が記念硬貨を集めているのを見たことがなく、同人にそのような趣味はないと思う旨供述している。

これら捜査の経過などに徴すると、本件記念硬貨の存在は、被告人甲の自白によって初めて捜査官に明らかにされた事項であって、供述内容の信用性を補強するものということができる。

所論は、本件記念硬貨の話は、被告人甲の原審公判廷での供述から明らかなとおり、K検事が最初に言い出したものであって、栃木県警の捜査官は、記念硬貨の存在を十分認識しており、この情報が同県警から埼玉県警を通じてK検事に届いていたものと推認できるから、被告人甲の本件記念硬貨に関する捜査供述は、秘密の暴露には当たらない。そもそも、記念硬貨といえども一般に流通する通貨であって、大阪万博記念硬貨は四千万枚、天皇御在位五〇年記念硬貨に至っては七千万枚も発行されており、どこの家にも存在する個性のない不特定物である。仮に、被害者方の金庫内にあったという記念硬貨が本件で発見押収された記念硬貨と同種類のものであったとしても、両者の同一性を認めるに足る客観的証拠は存在しない。その供述内容も、金庫の中にあった総金額や金種の構成が余りにも不明確に過ぎる上、重要な書類などを入れておく金庫の中に記念硬貨も含めて二〇〇〇円の小銭が入っていたという点、金庫と一緒に小銭も捨てるという発想、しかも、小銭のうち記念硬貨だけはもったいないから捨てずに残しておいたという点など極めて不自然であって、結局、被告人が自ら休験しない架空の事実を述べたものと考えざるを得ない、というのである。

しかし、被告人甲の原審公判廷での供述を検討すると、D検事の取調べを受けた六月七日の二、三日前、いまだ被告人がK検事に対して犯行を全面的に否認していたころ、同検事から、コインのことをしつこく聞かれ、そのときは分からないと答えたものの、いずれまた聞かれると思い、監房に戻ってから、適当に話を作って待っていったが、なかなか聞かれないので、後になってまた聞かれたとき、作り話の内容を忘れてしまうかも知れないと思い、調書にしてもらうつもりで、その数日後に自分の方から、D検事に対して、メダルはあったということを話した、というのであって、当時全面的に犯行を否認していた被告人が、このような自分の不利になる架空の話を殊更創作したばかりか、質問者でもないD検事に自分の方から供述をした上、さらに、記念硬貨を見せられて、奪った金庫の中にあったものに間違いない旨供述するなどということは、まことに不自然かつ不可解というほかなく、とうてい納得できるものではない。また、Aは、六月一〇日に記念硬貨についての被害届を提出するまで、埼玉県警の捜査官から、金庫の中身については専ら現金のことばかり聞かれ、記念硬貨については聞かれなかったため、述べる機会がなかったものであり、栃木県警のL警部も、本件記念硬貨の存在には気づいていたものの、六月八日の前記I方の捜索までは、それが本件の被害品であるという認識がなく、したがって押収もせず、本件記念硬貨に全く注意を払っていなかったものであって、同県警から埼玉県警を通じ検察官に右の情報が届けられていた状況は認められない。右によれば、捜査官が、被告人の供述以前に被害品として本件記念硬貨の存在を知っていたという所論は当を得ないものである。

また、所論が記念硬貨の不特定性をいう点については、なるほど、記念硬貨自体はさほど稀少性を持つものではないが、本件の記念硬貨については、被告人甲の供述に基づいてそのような記念硬貨が発見されたという経過自体が重要であるから、この点にかんがみ所論は首肯し難い。さらに、供述内容の不自然をいう点も、手提げ金庫内に小銭二〇〇〇円が入っていたという供述は、最初の五月八日の警察官調書だけであって、それ以後は、右の小銭二〇〇〇円は弟の乙がどこからか盗んできたと思う旨述べているし、手提げ金庫を捨てる際、中にあった本件記念硬貨を発見し、もったいないからと捨てずに保管した点も、通常人の行動として十分首肯することができるから、所論は失当である。

(二) 下見の際の落輪の事実

原判決が説示する経過のとおり、被告人甲は、五月一三日付けの上申書に、初めて三月一九日夜の下見の際、運転していた車を方向転換しようとして右後輪を空き地の側溝に落とした事実を書いてその場所を図示し、五月一六日付けの警察官調書でその状況を詳細に供述した。そして、裏付け捜査の結果、その場所、落輪状況の目撃者二名及び側溝からの脱出に利用した丸みのある石の現認者が判明するに至った。被告人甲の右供述は極めて具体的である上、同人は、同月二三日の実況見分に立会って、落輪から脱出までの状況を自ら指示説明している。また、原判決が説示するとおり、右目撃者らは、いずれも事件とは全く利害関係がなく、供述内容も自然であることに徴すると、その供述は被告人の右供述を裏付けるものということができる。したがって、右落輪の事実は、被告人甲の自白の信用性を高めるものである。

所論は、捜査官は、目撃者aから、四月の中ごろ落輪の事実を聞き、被告人甲の右上申書よりも前からその事実を知っていたものである。被告人甲は、原審公判廷での供述から明らかなとおり、弟が車をどこかにぶつけたと言っているぞという捜査官の偽りの誘導に対し、早く取調べが終わって欲しいという気持ちから、誘導に一番近いと思われる事実を想像で答えたものであるから、右の自白は秘密の暴露には当たらない。また、目撃者らの供述の信用性は、いずれも疑問である。a及びbの両名が、原審公判廷で、車を目撃した日を被告人甲の自白に合わせる形で供述を変更しているのは不自然である上、同女の視力は0.1と弱く、眼鏡を使用しないで落輪の状況を判別することは困難と思われる。また、石を見たというdの供述も、実況見分時には石は見当らず、清掃の際取り去られたと思う旨の同人の推測は根拠に乏しいから、いずれも信用できない、というのである。

しかし、前記のような捜査の経過、特に、原審証人eの供述によれば、落輪した車の目撃者探しは五月二〇日の大宮警察署移監後に行われていることが認められるから、被告人甲の供述があるまで、埼玉県警の捜査官が落輪した車と本件犯行とを結びつけて考えていた状況は認め難い。のみならず、被告人甲自身、原審公判廷で、最初に落輪の話を持ち出したのは被告人であると供述している。そして、所論のとおりの捜査官の質問に対し、追及をそらすため落輪という架空の事実を想像で述べたものであるという被告人の弁解は、車に衝突痕もないのに、捜査官がそのような質問をすること自体考えられないことであり、まして、下見をした事実もないのであれば、その上更に架空の事実を述べる必要も全くないのであるから、右の公判供述はとうてい信用することができない。また、目撃者らの供述について所論が指摘する諸点は、いずれもその供述の信用性に影響を及ぼすものとは言えない。

所論は、また、落輪の場所まで車を後退させたという被告人甲の供述は、現地の道路の状況から考えると、その手前にはもっと容易に方向転換のできる場所があるから、極めて不自然、不合理である上、実験の結果によれば、側溝に対して四五度よりも小さい急角度で進入した場合にのみ落輪が可能であるから、この点で被告人甲の供述は客観的状況に合致しない、というのである。

しかし、ゲートボール場まで後退したという点については、原判決が説示するとおり、土地不案内の被告人甲が、下見をして知っているゲートボール場で確実に方向転換ができると考え、同所まで後退して来たとしても、必ずしも不自然ということはできない。また、側溝の状況から落輪は極めて不自然という点については、弁護人の落輪実験の結果でも、所論指摘の急角度で進入した場合には落輪することが認められるのであって、被告人甲が、どのような運転操作の結果落輪に至ったかは明らかでないとしても、このことから落輪自体を直ちに否定することはできない。

(三) 犯行現場で通行人とすれ違った事実

被告人甲は、原判示のとおり、六月七日、検察官と司法警察員に対し、それぞれ、犯行の帰途現場近くの道路で通行人とすれ違った事実を初めて明らかにし、その年齢、体格、頭髪の様子、服装などを具体的に述べるとともに、すれ違った場所を図面に書いて説明したため、裏付け捜査が行われた結果、右の通行人としてfの存在が判明するに至ったものである。捜査官の事情聴取に対する同人の供述内容は、被告人甲の自白内容に符号するものである上、写真による面割りの結果、一三枚の写真の中から選び出した二枚の中に被告人甲の写真が入っており、また、同人の年齢、身長、服装などの外見は、原審公判廷での証言時においても、同被告人の供述内容と良く合致するものであった。このような経過に徴すると、同被告人の右自白内容の信用性は極めて高いと言うべきである。

所論は、被告人甲がこのような自白をしたのは、K検事から、手提げ金庫の中にコインが入っていなかったかとしつこく追及されるので、いい加減に実はあったと答えたところ、うそをつくなと叱られたため、腹が立ち、検事を困らせてやろうと思い、コインの話は作り話だが、現場から逃げるとき人に会っていると噂の話をしたものであって、被告人が体験した事実ではない。また、fの供述は、事件後間もない三月下旬ころ、警察官から不審者の目撃の有無を聞かれた際は思い出せなかったのに、その後競輪仲間から、お前が犯人ではないかと冗談を言われたことがきっかけで思い出したというのは、不自然であるし、すれ違った日も前橋競輪の二日目あたりというのであるから、三月二二日の午前ということになり、さらに、すれ違ったという場所は曲り角で見通しが悪い上、深夜であることを考えると、瞬間的に相手を識別することは不可能に近く、その時刻も被告人甲の供述する時刻とは一致しないから、結局、fの供述は信用できない、というのである。

しかし、検事を困らせるという目的だけで、仮にも殺人の疑いを強めるようなうそを自分から供述したなどという弁解は、およそ真実味に欠け、余りにも不自然、不合理というべきである。また、fの供述については、すれ違った日は、競輪に行った日が初日か二日目かはっきりしないが、すれ違ったのは、テレビのミッドナイトショーを見た後、火事騒ぎのあった少し前というのであるから、三月二一日の午前一時過ぎころということになって、被告人甲の供述と食い違うものとは言えないし、後になって思い出した点についても、当初警察官から不審者について聞かれた際は、自分が犯人と疑われていると思い、酒を買いに出たことは話さなかったというのであるから、その際はとっさにすれ違った男のことを思いださなかったとしても、格別不自然とは言えず、結局、同人の供述が信用できないとの所論は当を得ないものである。

(四) 手提げ金庫の投棄場所

被告人甲は、原判示の経過のとおり(もっとも、被告人甲は、既に、五月八日付けの警察官調書でも、概括的ながら投棄場所について述べている。)、自分から手提げ金庫の投棄場所を供述し、同月二三日には、被告人の案内により、その場所が原判示の不燃物集積所であることが判明するとともに、捜査の結果、付近の住民らが投棄された手提げ金庫を現認している事実が判明するに至ったものである。

所論は、手提げ金庫が本件の被害品であることを捜査官は十分認識しており、その行方を追及、誘導された結果、被告人甲の方では、一般的に考えられる方法として、近くの場所を答えたに過ぎないから、右は秘密の暴露には当たらない、というのであるが、しかし、捜査官の方では、手提げ金庫が被害品であることを知っていたとしても、その投棄場所が原判示の不燃物集積所であることは、被告人甲の供述によって初めて判明したものであり、しかも、同所に、被告人が供述するとおり手提げ金庫が存在した事実が、周辺住民らの目撃供述によって裏付けられたものである以上、これをもって秘密の暴露に当たるとすることに何らの妨げもないというべきである。

所論は、また、被告人甲の右供述内容は、投棄場所が自宅に極めて近く、A名義の預金通帳を入れたまま捨てたと述べるなど甚だ不用心な上、手提げ金庫を運ぶ方法や捨てた日の供述にも変遷があるなど、不自然な点が多く、信用できない、というのである。しかし、被告人甲が供述する投棄の方法が必ずしも危険と言えないことは、通常、不燃物集積所に捨ててあるごみの投棄者が誰であるかは容易に分からない上、短期間で確実に収集される実情からも窺われるところであるし、投棄した日や運搬方法についての供述に変更が見られる点も、基本的な部分に関する供述は一貫しているのであって、所論指摘の点は、右投棄の事実を認定する妨げとなるものではない。

所論は、さらに、原審証人gの供述からは、目撃した時期が三月末ごろと特定できない。原審証人h、同iの供述では、目撃した時期は、ごみの収集日である三月二八日の前日か前々日で、その際、金庫は一メートルくらいのごみの山の頂上あたりに捨てられていたというのであるが、収集日の前日くらいまではごみを出す人はほとんどいないから、同女らが見たという金庫は、被告人甲が捨てたとされる手提げ金庫とは全然別個のものであるか、又はその供述自体が間違っているかのいずれかである。原審証人jが見たという金庫は、形や大きさから、被告人甲の供述する手提げ金庫との同一性が認められない。また、これらの証人が見たという金庫は、裸のまま捨てられていたというのであるから、黒いごみ袋に入れて捨てたという本件の手提げ金庫とは別物か、そうでなければ、うその供述であるかのいずれかであると考えられる。結局、これら目撃者の供述は、いずれも被告人甲の供述を裏付けるものとは言えない、というのである。

しかし、証人gの供述は、三月二四日、町内の葬儀に香典を出した事実を根拠に、その時期の収集日である同月二八日の数日前であったというものであるから、右の程度で目撃の日時は特定されていると言える。証人h、同iの供述については、収集日以前にもごみを出すことはあり得る上、その量も時期によって変動のあることは容易に考えられるから、所論指摘の点は、これら証人の目撃時期を否定する根拠とはならない。証人jの供述は、本物の金庫が捨てられていたのを見たというのであって、その外観、構造が被告人甲の供述と多少異なる点があるとしても、通常あり得る程度の違いであり、また、各証人の見た金庫が裸ですてられていたという点についても、投棄後何らかの理由で金庫が袋から露出することもあり得るから、これら所論指摘の点も、各証人らが目撃した金庫と被告人甲が捨てたという金庫との同一性を認める妨げとなるものではない。加えて、ごみ集積所に金庫が捨てられること自体極めて稀であることを考え合わせると、結局、これら目撃者の供述は被告人甲の供述を十分裏付けるものと言えるから、所論は失当である。

2  そのほかにも、被告人甲の供述中には、特に信用性の高いと認められる次のような部分が存在する。

(一) 被告人甲の供述によって、栃木県警の捜査官が初めて知った事実

被告人甲は、①五月九日の取調べに対し、三月二〇日の夜、弟と二人で被害者方の下見に出かけた際、東武線西側の駐車場へ向かう途中、学校の前の店の軒下にあった自動販売機からコーラを買って飲んだこと、②五月八日と九日の取調べに対し、右の下見の際や犯行前に時間待ちをするため、被害者方が良く見通せる線路東側の空き地(ゲートボール場)に車を止めたこと及び犯行に赴いた際、線路西側へ二〇〇ないし三〇〇メートル進んだ道路左側の駐車場に車を止めておいたことを、それぞれ供述し、捜査の結果、これらの店や空き地、駐車場の所在場所が確認されている。ところで証人Lの原審公判廷における供述によれば、同警部補ほかの栃木県警の捜査官は、五月七日杉戸署を訪れ、埼玉県警の担当係官から事件の内容について説明を受けたが、その際は、凶器の紐の形状や二階踊り場のガラスが割れているが、その理由は分からないという程度の話に止まり、検証調書その他取調べに必要な書類は見せてもらえなかったし、また、犯行現場の見分に出かけたものの、被害者方には入れてもらえず、家の表と付近道路を見ただけで引揚げたというのであって、栃木県警の捜査官としては、右①②の各所在場所については知らなかったと認められるから、これらの事実に関する被告人甲の供述は、犯行に関連して自ら体験した事実を率直に述べたものとして、その信用性は高いということができる。

所論は、被告人甲は以前右の店でコーラを買ったことがあるので、その時の経験を述べたものであり、その他の場所についても、捜査官の方で、被害者方周辺の状況として熟知していた客観的事実に合わせて供述するよう、被告人甲を強引に誘導したものである、というのであるが、右の店の所在については、原判決も指摘するとおり、同店は被害者方に至る道筋から外れており、別の機会の体験であれば、当日の出来事として供述する必要性が全くないことを考えると、やはり、当日の体験を語ったものと見るのが自然であるし、その他の場所についても、前記のような栃木県警の当時の捜査状況にかんがみると、所論はとうてい首肯することができない。

(二) 被告人甲の供述によって、埼玉県警の捜査官が初めてその原因ないし意味を理解できた事実

被告人甲は、五月八日の最初の取調べに対し、①原判決が説示するとおり、被告人乙と被害者Cが二階で取っ組み合いとなった際、Cのかぶっていたヘルメットが踊り場北側の窓ガラスにぶつかってガラスが割れた事実、②初めに被害者Bを、次いで、帰宅した被害者Cを順次絞め殺した事実、③被害者両名を殺害後、犯行が発覚しにくいように、それぞれ北枕にして寝かせ、その上から布団を掛けた事実、④被告人らがCを殺害後、ズボンや靴下などを脱がせた事実、及び六月一〇日の取調べで、⑤被害者Cが、帰宅直後トイレに入って小便をした事実を、それぞれ供述している。

そして関係証拠によれば、埼玉県警の捜査官の方では、被告人甲の右①の供述によって、窓ガラスの破損の原因が、②の供述によって、被害者両名の殺害の順序が、③の供述によって、被害者両名が布団を掛けられ、北枕で寝かされていた理由が、④の供述によって、被害者Cが下着姿で死亡していた理由が判明するに至り、また、⑤の供述については、Cに尿の失禁が見られない理由(斉藤太一作成の四月二日付け検証調書記載の、Cの敷布中央付近の約一〇センチメートルの失禁は、星野正彦作成の鑑定書及び斉藤紀美雄作成の五月一七日付け実況見分調書によれば、尿ではなく、糞便のしみと認められる。)を解明する上で、右被告人の⑤の供述を見過ごしていたところ、尿失禁の認められないはずのCの一番上の掛け布団表面から尿の反応が出たため、改めて検討し直した結果、Cの膀胱内が空である旨の鑑定書の記載と右⑤の供述とを対比し、その理由が判明するとともに、Cの掛け布団の尿反応は、被告人らのはいていた靴によって付着したと考えれば矛盾はないとの結論に達し、いずれも、事案の合理的解明が進んだことが認められるのであって、このような供述も、被告人甲の自白の信用性を補強するものと言える。

所論は、右①の供述について、被害者Cの身長は一六五センチメートルであるから、ガラスの割れた箇所が低過ぎる上、被害者がヘルメットをかぶったまま二階に上がって来るなど不自然であるし、着火前にガラスが割れていたのであれば、階段を伝って上がった煙が割れた箇所から外へ出て、すぐ上のひさしに当たるはずであるのに、窓ガラス上部のひさしにすすの付着が認められないことを考えると、窓ガラスは、放火後の消火活動によって割られた疑いが強い、というのである。しかし、警察官の現場検証の際の被告人両名の犯行再現写真及びビデオテープによれば、被害者Cは、窓際でのけぞり、かなり頭を低くした状態でヘルメットが窓ガラスに当たっており、また、原審証人Aは、Cが帰宅後ヘルメットをかぶったまま二階に上がるのを目撃したことがある旨供述しているから、所論指摘のこれらの点は不自然とは言えない。さらに、消火活動によって窓ガラスが割られた疑いが強いという点についてみると、最初に消火のため被害者方へ入った当審証人nは、被害者方二階踊り場の窓を開けたかどうかよく覚えていないが、その際窓ガラスを割った事実はない旨、当審証人r、同tの各供述によると、他に消火のため二階へ上がった者はいないことが認められる。そして、警察官の検証調書添付写真によれば、踊り場の窓のうち、破損した右側窓のガラスには、すすが一面に黒く付着していて、発火前に生じた右の破損箇所からすす混じりの煙が排出された状況が窺われるとともに、他方、左側の窓は、破損した右側の窓に重なるように開けられ、左側窓のガラスにはすすの付着のないことが認められる。このような窓の状況を考えると、踊り場の右側窓のガラスだけを排煙のために割る一方で、これと重なるように左側の窓を右の方へ開けて排煙するというのは、いかにも不合理に過ぎるというべきであって、右証人らの供述を裏付けるものということができるから、所論は首肯できない。

所論は、なお、前記②ないし⑤の各供述についても、捜査官は、事件当夜Cがアルバイト先に出勤していた事実や遺体の服装、寝かされていた状況など、それまでに把握していた事実関係に基づいて、被告人甲を誘導したものであると、いうのであるが、前示のような本件捜査の全般的経過、殊に、栃木県警の捜査官が、取調べ当時、事件の内容について極めて断片的な情報しか得ていなかったこと、その後の埼玉県警の捜査も、一方のAの自白内容と対比しつつ、被告人らの供述を手がかりに、慎重な裏づけ捜査と既に行った捜査の見直しを積み重ねながら、捜査を進めて行った状況や被告人両名の取調べ状況などに照らすと、所論のように、捜査官が、このような極めて具体的で細部にわたる事実に至るまでも、あらかじめ描いた筋書きに従って被告人甲を強引に誘導したとは、とうてい考えられないところであって、所論は認め難い。

(三) さらに、被告人甲の自白には、原判決が指摘する各事実を含め、次のような犯人でなければ供述できない極めて迫真性ないし臨場感に満ちた事実に関する供述部分が存在する。

すなわち、被告人甲は、五月八日及び翌九日の栃木県警の取調べに対して、①被害者方に進入する際、玄関の扉に鍵がかかっていなかった事実、②目を覚ました被害者Bとの応答の模様、③被害者両名を殺害するまでの経過及び殺害の状況、④手提げ金庫を開けた際、警報音が鳴った事実、⑤被害者両名を殺害した後の犯跡隠ぺい工作の状況について、極めて具体的で、迫真性にあふれた供述をしていることが、右の各供述調書から明らかである。

所論は、これらの供述は、いずれも、被告人甲の想像と捜査官の誘導によって作られたものであり、右①の玄関の扉に鍵がかかっていなかったという点については、B一人だけ在宅する被害者方で、夜遅く鍵もかけずに就寝するというのは、不用心極まるもので、とうてい考えられない、というのである。しかし、当時、栃木県警の捜査官が、被告人らを本件の犯人と断定していた訳ではなく、その立場からは、何としても被告人らの自白を得なければならない状況になかったこと及び本件の捜査内容については、ごく断片的な知識しか得ていなかったことは、既に述べたとおりであって、その供述内容自体から見ても、担当の取調官や被告人が勝手に創作できるものではないというべきである。また、①の点については、埼玉県警からの電送通報の内容から見て、玄関の扉に鍵がかかっていなかったことまでも、当時の栃木県警の捜査官に判明していたとは考えられないし、当審における証人Aの供述によると、以前、玄関の扉が開いたまま、Bが就寝していたことがあり、事件の二か月か三か月前ころ、Aが扉のストッパーの位置を動かして釘を打ち直したものの、完全には直らず、その後も締め方によっては鍵のかからないことがあったが、そのままにしてあったというのであるから、所論指摘の点は、右供述の信用性に影響を及ぼすものではない。

3  被告人甲の犯人であることを窺わせる取調べ以外の機会における言動について

関係証拠によれば、被告人甲には、次のような取調べ以外の機会における言動が認められる。

(一) 被告人甲は、日光事件において、被害者らを縛り上げた際、被告人乙に対し、「前にさるぐつわで失敗しているからよく縛れ。」と言ったり、また、「一度やったことがあるんだ。」などと口走っている事実が認められる。このことは、日光事件で失敗を警戒する余り、思わず本件の際の体験をロ走り、自ら犯人であることを第三者に知らせる結果となったものということができる。

これに対し、被告人甲は、原審公判廷で、右と同趣旨の発言をした事実を認めた上、その理由は、被害者らに無駄な抵抗をしないように、過激派を装って述べたものである旨供述しているが、被害者らの抵抗を抑圧するために、やってもいない犯行を口走り、わざわざ自分に不利な状況を作り出す必要性はないことを考えると、被告人甲の右弁解は不合理でとうてい首肯できるものではない。

(二) 被告人甲は、大宮警察署に拘留中の九月七日ころ、たまたま同署留置所の運動場で一緒になった、当時同署に拘留中のyから、「お宅かね、宮代で殺人やったのは。」と聞かれたのに対し、「そうだよ。」などと、本件の犯人であることを肯定する応答をしている事実が認められる。所論は、右yの原審公判廷の供述は、本件に関心を持ち、また、尋ねる機会が何度もあったのに、話をしたのはその時一回限りで、しかも、事件の内容について尋ねていないこと及び同人が被告人甲と話を交わした事実を捜査機関が知った経緯も全く不明であることなど極めて不自然であって信用できない、というのである。しかし、yの右供述に何ら疑問の点が認められないことは、原判決が説示するとおりであって、所論の指摘する理由は、何ら同人の供述の信用性に影響を及ぼすものではない。

(三) 被告人甲は、日光警察署の留置場内で、五月一三日ころから、折りづるを作り始め、同月二〇日に予定の千羽を超える折りづるを作り終えている。その理由について、被告人甲は、取調官に対し、拘留中でBC母子の墓参りもできないので、祈りを込めて千羽折り上げ、両名の墓に供えたいと思ったと述べている。右事実は、原判決も説示するとおり、本件を犯したことに対する悔恨の気持ちを表したものと見るのが極めて自然である。

これに対し、所論は、被告人甲が折りづるを折ったのは、日光事件の被害者のけがが早く治るようにとの気持ちからであって、折り始めた際、看守からとがめられたので、本件にかこつけて折らせてもらったものであると主張し、被告人甲も原審公判廷で同趣旨の供述をしているが、関係証拠からは、折りづるの製作を禁じた事実は認められず、右弁解内容も極めて不自然でとうてい納得できるものではない。

これらの事実は、いずれも、被告人甲が本件犯行に関与したことを窺わせるものであるとともに、被告人甲の供述調書等の信用性を補強するものということができる。

三  被告人甲の供述調書等に存在する疑問点として、弁護人が主張する点(控訴趣意第三、三)について

所論は、被告人甲の供述調書等の内容には、以下のとおり客観的事実との不一致、重要な事実に関する供述の変遷、被告人乙の供述との不一致など数多くの疑問点が存在しており、これらは、捜査官による不当な誘導の結果、被告人が実際に経験していない虚偽の事実を供述させられたことを示している旨主張するので、以下、主要な点について検討する。

1  客観的事実との不一致をいう点について

(一) 灯油のまき方について

所論は、現場検証の結果、灯油入りポリ容器上部の大きい口には白いキャップが、小さい口には空気孔がはまっており、六畳間のこたつ板の上に右ポリ容器の小さいロにきちっとはまるキャップが置かれていたこと、空気孔をつけた状態ではキャップが閉らないことが明らかであり、また、Aの供述によれば、右のポリ容器はいつも玄関に置いてあったと認められる。これらの事実を考え合わせると、放火犯人は、右のポリ容器を玄関から六畳間に運び、小さい方の口のキャップを外してこたつ板の上に置き、空気孔をどこからか探して来てはめ、その上で空気孔を通して灯油を散布したと考えられる。しかし、被告人らの供述には、そのような散布の方法についての供述が全く見られないから、客観的事実と異なることになるし、被告人らは、右の空気孔が被害者方のどこにあったのか全く知らないから、犯人であるはずがない、というのである。

しかし、灯油の散布に関する被告人らの供述が大筋で一貫しているばかりでなく、また、捜査官の方で不当な誘導の事実が認められないことは、既に示したとおりであるから、右の点の解明が不十分であるからといって、被告人らの供述が架空の事実を述べたものとは言えないし、当審の証人Aの供述によると、ポリ容器に付けてあった空気孔は、玄関の下駄箱の左側の隅に置いてあったというのであって、ポリ容器の置かれていた場所に近く、被告人らの目に触れるのは容易であったことを考えると、この点の供述が見られないことから、直ちに客観的事実に反するものとは言えない。

(二) 放火の方法について

所論は、被告人らが供述する放火工作は、フライパンに食用油を入れてガスコンロにかけ、その周りに食用油の一部をまき、階段の裏側に灯油をまいた上で、ガスコンロに着火したというものであるが、重倉祐光作成の鑑定書及び同人の当審公判廷での供述(以下、重倉鑑定という。)によると、本件の火災は、フライパンのサラダ油の火災及び瞬間湯沸し器へ通じるガスホースからのガスの噴出火災によるものであり、現場の焼損状況から考えると、本件では、フライパン上の火災がすぐ上の傾斜天井に届く前、又は、フライパンのサラダ油が自発着火する前に、瞬間湯沸し器へ通じるガスホースからガスが噴出して火災を発するような工作が施されていることが明らかであって、被告人らの供述する自然発火装置では本件火災は発生しないから、この点の被告人らの自白は右客観的状況に反する、というのである。

そこで、検討すると、司法警察員作成の四月二日付け実況見分調書に添付されている被害者方台所の天井や出窓など上方向の焼損の程度はそれほど強くないのに対し、調理台や流し台の側面板や裏面板及びこれらと対面する腰板壁面は燃え抜けているなど、水平方向に最も強くやけた領域が広がっていることが認められる。そして、重倉鑑定によれば、被告人らが供述するような、フライパンのサラダ油とその周辺の灯油による発火延焼の方法だけでは、調理台裏面や腰板壁などの焼損は困難であり、右の箇所への延焼が起こるためには、瞬間湯沸し器へ通じるガスホースに切れ目を入れるなどの工作を施し、漏えいガスの水平方向への噴出火災を生じさせる必要があること、もっとも、サラダ油の燃焼を一八分以上継続した場合、右ガスホースに亀裂が生じ、これに大量の灯油などの燃焼による熱が加わった場合には、ガスホースが燃え切れてガスの漏えいが起こり得るが、その場合には、サラダ油から発生した火災によって、既に、出窓の棚板や傾斜天井が広範囲にわたって燃焼領域になり、現場写真の状況と合致しないこと、右現場写真及び発火延焼実験の結果などを総合的に考察すると、写真のような水平方向の燃焼痕を生じる火源としては、右ガスホースの燃え抜けによる水平方向へのガスの噴出火災しか考えられず、右の噴出火災が、フライパンのサラダ油が自発着火するか、又は、その火災が傾斜天井に届く以前の、比較的早い時期に生じれば、検証現場の写真に見られるような台所内部の焼損状況を生じる、というのである。

しかし、右重倉鑑定は、瞬間湯沸し器へ通じるガスホースが接続されているガス導管の元コックが開かれ、ガスが通じていることを前提とするものであるが、前掲現場検証調書添付の写真によると、二ロに分かれた前記のガス導管の元コックのうち、瞬間湯沸し器側のコックのつまみは、「全閉」の状態で焼損していることが明らかである。そして、高橋豊治作成の鑑定書及び同人の当審公判廷での供述によれば、右「全閉」状態のコックのつまみは、外観検査の結果、固定部分から可動部分につながる表面全体の炭化物の付着状況などから見て、「全閉」の角度のままで火災による燃焼の影響を受けていると認められたこと、当審証人r、同t、同nの各供述によれば、被害者方に最初に入ったt及びnの両名は、右のガスコックのつまみには手を触れておらず、また、一緒に入ったxが手を触れるのを見た記憶もないこと、その後間もなく現場に到着した警察官rは、現場保存の観点から、室内にいた者に対して何も触らないようにと注意したが、その際台所には誰もおらず、六畳間にいた数名の者もすぐに外へ出たことが認められる。このような状況を考え合わせると、右のコックは火災発生前から閉じられた状態にあったと推認せざるを得ない。所論が指摘する前記高橋証人の供述の際の一部説明の誤りは、右認定に何ら影響を及ぼすものではない。したがって、ガスホースからの噴出火災の存在を想定する重倉鑑定の見解は、現場のガス導管の客観的状況に合致しないことになる。所論は、右のコックは、消火の目的で被害者方に入った者が危険防止のために閉めた可能性が強い旨主張し、重倉鑑定も同様の見解を示しているが、右の証拠に合致しないばかりでなく、前掲現場検証調書添付の写真からも明らかなとおり、ガス導管の二ロの元コックのうち、他方のガスコンロ側のコックのつまみが「全開」の状態のままになっている事実に徴すると、危険防止のため一方だけを占めるというのも首肯し難いところであって、所論は採用できない。

そうすると、調理台や流し台の裏面及びこれらと対面する出窓棚板下の腰板などが強く焼損している点がなお問題として残るが、関係証拠によると、被告人乙は、台所の床のほか階段裏側の傾斜天井に向けて灯油をまいており、また、右の腰板からも灯油が検出されている事実が明らかであって、これらの事実に徴すると、まかれた灯油がガスコンロ周辺や床上に相当量溜まっていたことが推知できる上、ガスコンロ周辺には炭化した布切れの断片のほか、炭化物の痕跡も認められる。これらの諸点や事件当時は春先の乾燥した時期であることなどにかんがみると、フライパン内の食用油の燃焼に伴う輻射熱によって周辺の灯油に引火し、これらがあいまって、水平方向への火勢を強めたことが考えられるから、被告人らの供述する放火の方法が現場の状況と矛盾するものとは言えない。

(三) 犯行に使用した凶器について

所論は、被告人甲の供述調書等によれば、被告人らは、三本よりのビニールひもで被害者B及びCを絞殺したとされているが、法医学鑑定の結果によれば、被害者両名の頸部索溝の所見から見て、絞殺に用いられた凶器は同一のものではなく、特に、Bの絞殺に用いられた凶器は、中央にへこみのある電気コード類のひもであることが明らかである。すなわち、医師上山滋太郎作成の鑑定書及び同人の当審公判廷における供述(以下、上山鑑定という。)によれば、第一に、Bの索溝は粗造化していないいわゆる軟性索溝であるのに対し、Cの索溝は粗造化したいわゆる硬性索溝であって、両者の索条痕の性状が全く異なっていること、第二に、Bの索溝には、中央部に蒼白でない一条の線状模様が存在するのに対し、Cの索溝には、そのような模様が認められないこと、第三に、Bの索溝の幅が、細い箇所で0.3センチ、太い箇所で0.6センチであるのに対し、Cのそれは、細い箇所は0.1センチ、太い箇所で0.4センチであって、両者の索溝の幅が大きく異なること、このような被害者両名の索条痕の違いから見て、Bの頸部索条痕の成傷器は、表面が平滑であまり硬くない索条物であり、その断面の形が中央部がへこんだ電気コード類であるのに対し、Cの頸部索条痕の成傷器は、表面粗造ないしやや平滑な索条物であって、Bの成傷器とは異なると考えられる、というものであって、極めて合理的である。したがって、本件の凶器にかんする被告人の自白は、右の客観的事実に反するものであり、この点からも被告人の自白は信用性がない、というのである。

そこで、検討すると、被害者B及びCの遺体を解剖した医師柳田純一作成の鑑定書並びに同人の原審及び当審における供述(以下、柳田鑑定という。)によれば、Bの頸部の索条痕は、全体に蒼白部分が多く、著しい陥凹や粗造化が見られないのに対し、Cのそれは、一般に著しい陥凹、粗造化してるばかりでなく、索溝の幅も、Bの場合は0.3センチないし0.6センチであるのに対し、Cの場合は、0.1センチないし0.4センチと異なるなど、両名の頸部索条痕の性状に違いのあることが認められる。

まず、上山鑑定が、Bの項部索溝内に存在すると指摘する蒼白でない一条の線状部分を根拠に、Bの索条痕の成傷器を電気コード類(ビニール被覆の平行コード)と推定している点について検討すると、同鑑定は専ら遺体の写真を基にした判断であるが、司法警察員斉藤太一作成の四月二日付け検証調書添付写真一七六及びこれを拡大した上山鑑定書添付写真二(A―Bと朱書した部分)には、なるほど、Bの左前頸部から前頸部にかけて右の線状部分が認められ、また、司法警察員小茂田芳雄作成の四月一日付け実況見分調書(Bの遺体に関する分)添付写真八及びこれを拡大した柳田鑑定書添付写真四には、Bの項部を水平に伸びる明瞭に蒼白な帯状部分の中に、これとはやや色調の異なる部分が横に伸びているのが窺われないではない。上山鑑定は、これらの二種の写真から、Bの索溝内に前記のような線状部分の存在を認めるのであるが、しかし、このうち、左前頸部から前頸部にかけての線状部分については、右実況見分調書添付写真五、六及びこれを拡大した柳田鑑定書添付写真三、五を見ると、上山鑑定が指摘するような、長軸に沿って走る線状部分の痕跡は認められないし、柳田鑑定人自身も、遺体解剖時、索溝と判断した前記上山鑑定書添付写真二のE―Fに相当する部分とは別個の線状部分の存在を否定している。また、項部の線状部分についても、柳田鑑定人は、右柳田鑑定書添付写真四からは、上山鑑定が指摘するような線状部分が存在するとは言えないし、解剖時の所見でも、そのような線状部分は認められなかったと述べているのであって、右写真四の蒼白でない部分がかなりあいまいであることは、上山鑑定人自身、当初、項部の左側部分にも線状部分が存在すると述べながら、その後右供述の誤りを認めている事実からも、窺われるところである。上山鑑定は、右添付写真一七六の線状部分が柳田鑑定書添付写真三、五には認められない理由として、時間の経過により、索溝の陥凹が消失した可能性が考えられるとしているが、現場検証の開始から遺体の実況見分開始までには数時間の経過が認められるものの、右写真の撮影時刻は明らかでなく、現場検証の後の段階で撮影された可能性もあるから、当日の現場検証に引き続いて、遺体の実況見分が行われていることからすると、その間それほど時間が経過していなかったとも考えられること、柳田鑑定人によれば、Bの前記項部の写真四に見られる蒼白部分は、著しく陥凹した状態のまま明瞭に保たれていたこと及び遺体解剖時上山鑑定が指摘する左前頸部の線状部分が認められない反面、その下方には、索溝と判断された左右に連なる帯状の陥凹部分が現実に観察されていることが認められ、これらの事実を考え合わせると、上山鑑定が指摘する現場検証時の写真一七六の線状部分の陥凹だけが、実況見分時には消失していたというのも、にわかに首肯し難いところである。さらに、写真は撮影の角度や照明の程度などによって、実際の所見と異なる場合のあることは、両鑑定人とも認めるところであるし、平行コードによる絞殺であれば、Bの身体状況からすると、索溝の中央部分が盛り上がると思われるのに、解剖時の所見では、そのような盛り上がりは認められなかったことから、Bの成傷器を谷間のある平行コードとは言えないとする柳田鑑定人の見解には、首肯し得るものがある。このように見てくると、上山鑑定の根拠とされるBの頸部索溝内の線状部分の存在は疑問と言わざるを得ず、したがって、右線状部分の存在を有力な根拠として、Bの頸部索条痕の成傷器を平行コードと推定する同鑑定の見解は採用できない。

次に、BとCの索溝の性状及び幅が異なる点について検討すると、確かに、右の差異は大きく、柳田鑑定並びに医師石山昱夫作成の鑑定書及び同人の当審における供述(以下、石山鑑定という。)も、右の差異だけからすると、同一の成傷器ではないと見るのがむしろ自然であり、また、上山鑑定及び石山鑑定の実験結果によると、右索溝の幅の差まで伸び縮みする市販の索条物は見当らないとしている。しかし、右の索溝の幅については、測定方法自体に疑問の余地のあることは所論も指摘するとおりであって、測定器の種類、測定者の視力や見る角度、遺体の姿勢や皮膚表面の状態その他種々の条件によってある程度の誤差は避けられず、必ずしも正確を期し難いと考えられ、このことは柳田鑑定人の供述からも窺われるところであるから、右柳田鑑定及びこれを前提とする上山鑑定における前記の測定値を絶対的なものと見ることはできない。のみならず、柳田鑑定人によれば、両名の索条痕には、前記のような違いがある反面、それぞれに、表皮剥脱のある部分とない部分があり、また、粗造化した部分と陥凹だけの滑らかな感じの部分がある点では、両者に共通性が認められたこと、粗造化した部分が、Bの場合は少なく、Cの場合は多いという点も、粗造化の多少は、絞め方によっても生じ得るから、成傷器の同一性を認める上での支障とはならないこと、両者の索溝の幅の条件を満たす具体的な凶器の種類については、思い当らないが、同鑑定人の経験によると0.1センチ程度の索溝による絞殺のケースも幾つかあり、その中にビニールひもを用いた例が見られたこと、右のビニールひもを用いた事例では、索溝の幅が異常に細くなる反面、比較的幅のある部分も見られたこと、このような諸点から、被害者両名の索条痕の成傷器が同一であっても矛盾しないと考えられるというのである。また、石山鑑定人は、成傷器として考えられるのは、Bの場合は、電気コードや針金などを除くあらゆる種類のひも状物であり、Cの場合は、強く引っ張って硬くなった状態のビニールひも類が最も適当であるとしており、上山鑑定人も、ビニールひもは、普通の植物繊維と異なり、一本一本が非常に硬いから、硬性索条としても、また、軟性索条としても、両用に作用し得る物体であることを認めている。そして、被告人甲の供述によれば、凶器であるビニールひもで最初にBを、次いでCを順次絞頸していること、Bの場合は、同女に騒がれて途中から殺害を決意しており、その抵抗も弱かったのに対し、Cの場合は、当初から殺害の目的で強く絞頸しており、同人の抵抗も強かったことが認められ、右のような絞頸の状況に徴すると、索条痕の性状や幅に相当の差異の生じる可能性が考えられる。右の諸点にかんがみると、被害者BとCの索条痕の性状及び幅の差異も、具体的な絞頸の方法、程度、双方の身体の動きなどの状況によっては、同一のビニールひものような索条物によって起こり得ると考えられるから、結局、凶器に関する被告人甲の供述が客観的事実に反するとは言えない。

(四) 現場に物色の跡がないことについて

所論は、被告人甲の供述調書等よれば、被害者Bを殺害した後も一〇〇万円の金を探して室内を物色したとされているが、司法警察員の現場検証調書の記載によると、室内に物色の跡が全く認められないばかりでなく、何よりも、人を殺害した後で、しかも、物色の跡を隠しながら一〇〇万円を探すなどということは極めて不自然であつて、同被告人の右供述は客観的事実に反する、というのである。

しかし、この点について原判決が説示するところは、正当である。所論指摘の検証調書の記載も、あくまで捜査官自身の判断にとどまるものであつて、右の記載から、直ちに、客観的事実として物色した事実がないということはできない。のみならず、被告人らの供述調書等からは、被告人らが極めて冷静に落ちついて行動し、犯行の発覚を遅らせるため遺体を眠っているように見せかける工作をし、また、何としてもまとまつた金を探し出そうと強く決意していた状況が窺われるのであって、金品の物色についても、探した跡が目立たないように元の状態に戻しながら行ったことが考えられるし、金品奪取の犯意の強固さから見て、Bを殺害後も物色を続けたとしても格別不自然とは言えないから、所論は失当である。

(五) 被告人甲の供述に対応する、Cの成傷や室内の状況が認められないことについて

所論は、被告人甲の供述調書等によれば、被告人らとCとは取っ組み合いの格闘をしたとされているから、同人の身体には格闘によって本棚、机、ステレオなどにぶつかった傷ができるはずであるのに、そのような傷はないし、室内に家具が散乱した状況も認められない。したがって、この点も客観的事実に反する、というのである。

しかし、関係証拠によれば、Cはヘルメットをかぶり、下着の上にジャンパーを着用し、ジーンズのズボンをはいていたものであり、三畳間の机やステレオなどは、それらの角がぶつかる配置の状況ではなく、被告人らとCの格闘も、Cの方は専ら防戦一方の状況であったことなどを考えると、多少身体にぶつかる程度では傷はできず、また、周囲の家具の散乱が見られないとしても不自然ではない。

(六) 凶器のビニールひもがあった場所について

所論は、被告人甲は、Bを絞殺するため二階四畳半の部屋の西側たんすの北側にあつたプラスチック製の二段式小物入れから、ビニールひもを取り出したと述べているが、現場検証写真によれば、同所にはそのような小物入れは存在しない、というのである。

しかし、司法警察員斉藤太一の検証調書によれば、確かに、被告人甲が供述する場所に存在するのは電話台であるが、被告人は、その後六月八日の現場検証の際は、二段式小物入れというのは電話台であったと訂正の上指示している。右電話台は上段と下段に分かれ、上段には四角い缶と丸形物入れが置いてあったことが認められる。右の経過を見ると、被告人は、このような電話台の形状を見て二段式小物入れと誤認していた事情が窺われる。被告人甲の右の誤認は、とっさの間の認識に過ぎないことを考えると、格別不自然とは言えないから、この点の供述が客観的事実に反するものではない。

以上のほか、被告人甲の供述が客観的事実に反する旨所論が指摘する諸点は、いずれも首肯することができない。

2  被告人乙の供述との不一致、供述の変遷及び供述内容の不自然、不合理をいう点について

所論は、被告人甲の供述調書等の供述内容は、B殺害後被告人のどちらが先に四畳半間の物色を始めたか、強取金額、バールの所持、B殺害時の被告人両名の位置関係、Cの遺体の寝かせ方、逃走時の車の運転者など多くの点で被告人乙の供述との間に食い違いがある。また、強取金額、手提げ金庫を捨てた時期と捨てた方法、玄関を入った順序、Bの絞殺の仕方、Cの絞殺の仕方など多くの点で供述の変遷が見られる。このような双方の供述の不一致や供述の変遷が見られるのは、捜査官の不当な誘導によって被告人が自ら体験していない事実を想像で述べたためであって、その結果多くの点で不自然、不合理な供述内容となっている、というのである。

なるほど、所論指摘の諸点において、被告人両名の供述内容が必ずしも一致していないことは事実であるが、基本的で重要な部分については、被告人乙の供述と一致しているのであって、所論が種々指摘する部分についての微細な不一致は、いずれも被告人甲の供述の核心的部分に影響を及ぼすものではない。また、被告人甲の供述に見られる、所論指摘のような変遷についても、原判決が説示するとおり、これらの変遷は、捜査の進展により明らかとなつた客観的証拠に基づいて、被告人の記憶を喚起し、不合理、矛盾点の解明を図った経過を示すものであって、その結果、従前の供述が改められる一方で、最後まで供述を変更しなかつた事項も存在しており、これら供述の変遷が捜査官の不当な誘導によるものとは言えないし、所論が供述内容の不自然、不合理を種々指摘する諸点も、いずれも首肯し難しい。

以上を総合すると、被告人甲の供述調書等の信用性を十分認めることができるから、所論は失当である。

第四  被告人乙の供述調書等の信用性を肯定した原判決の判断を論難する主張(控訴趣意第三の二)について

一  所論は、被告人乙の捜査段階の供述調書等の信用性について、以下のとおり主張する。

その要旨は、被告人乙の供述調書等は、捜査官の強制と不当な誘導によって供述させられた、同被告人の体験していない虚偽の事実を内容とするものである。すなわち、捜査官は、被告人甲の供述調書等について述べたのと同様な方法で調書を作成したものであって、被告人乙の自白には、秘密の暴露は存在せず、検証における犯行再現も、捜査官の誘導に従ったものであるから、自白の信用性を担保するものではない。かえって、被告人乙の自白には、被告人甲の自白について述べたのと同様な、客観的事実との不一致、重要な部分における供述の変遷、被告人甲の供述との不一致、及び供述内容の不自然、不合理など疑問の点が数多く存在していることに加えて、被告人乙は、本件の取調べ当時、精神病にかかっていたものであるから、とうてい信用性を認めることはできない、というのである。

二  しかしながら、被告人乙の供述調書等の信用性を肯定した原審の判断は、当裁判所も、正当として是認することができる。

すなわち、被告人乙の供述調書等に所論指摘の疑問点は認められない。同被告人に対する取調べに強制、不当な誘導など任意性に疑問を抱かせる事実の認められないことは、既に判示したとおりである。これに加えて、被告人甲の供述調書等について認定したとおり、被告人乙の供述内容を見ると、被害者方二階踊り場の窓ガラスが割れた状況、下見の際缶コーラを買って飲んだ事実、被害者方玄関から侵入する際の状況、侵入後の行動、Bとの応答の模様、被害者両名の殺害の具体的状況など極めて迫真性に富む供述のほか、後記のとおり、被害者両名の遺体の傷痕に対応する行動など、犯行に関連して自ら体験した事実を率直に述べ、あるいは、捜査の合理的解明のきっかけとなるなど、信用性が極めて高いと認められる供述が数多く存在しているのであって、このことは、同被告人の検証時における犯行再現状況を記録した写真及びビデオテープからも窺われるところである。以下、同被告人の供述によって捜査の合理的解明が進んだ事実について検討を加える。

1  被告人乙の六月五日付け司法警察員に対する供述調書によれば、Cが布団の上にうつ伏せに倒れたとき、乙の持っていたバールのまっすぐの側が、Cの大腿部に当たり、同人が悲鳴を上げた旨供述しているところ、柳田鑑定によれば、Cの左大腿外側には、右供述に符合する二か所の擦過打撲傷が認められる。

所論は、Cの右擦過打撲傷は、バールによって生じた可能性は低い上、被告人乙が犯行の際バールを携帯していた事実は認められない旨主張する。しかし、被告人乙は、五月一〇日付け上申書で鉄のバールを用意して行った事実を述べ、以後も同様な供述をするとともに、バールの詳しい図面を作成し、犯行再現の現場検証の際も、バールに見立てた棒を手にして犯行状況を説明するなど、その供述は一貫していること、バールの長さは三〇センチメートルに過ぎず、目立たないものである上、侵入に際し使用の必要がなかったことなどを考えると、被告人甲の記憶に残らなかったことも十分考えられる。所論は、バールの存在については、五月一五日、捜査官が被告人乙方を任意で捜査したところ、たまたまバールが出てきたため、捜査官の誘導により、バールを携帯してCを脅したような供述になったものであるというのであるが、前記のとおり、被告人乙は、発見される前の五月一〇日付け上申書でバールについて述べており、また、バールでCを脅した旨供述が変わっている点は、被告人乙の右上申書により、捜査官が家宅捜査を実施し、その結果発見されたバールについて改めて同被告人に問い質した結果、右バール使用の事実を改めて供述するに至ったものと考えられるから、所論は首肯し難い。そして、被告人らがCを座らせた上、同人をうつ伏せにする際の姿勢、被告人らとの位置関係、同人が必ずしも静かにしていたわけではないことなどを考えると、原判決が、Cの左大腿部の傷痕がバールによって生じた可能性を肯定し、右事実は、被告人乙のこの点に関する自白の真実性を担保するものとした判断を是認することができる。

2  被告人乙の五月三一日付け司法警察員に対する供述調書によれば、Bを絞殺するとき、左手でBの左腕の肩と肘の中間付近を押さえつけた旨供述しているところ、右鑑定によれば、Bの左上腕後側中央部及び前側下三分の一の二箇所に、いずれも、強く圧迫した場合にも生じ得る大豆大の微紫色変色各一個が存在し、これらは、同被告人の行為によって生じたものと認められる。

所論は、右の傷痕が五指による圧迫で生じたのであれば、左上腕前側下に残る圧迫痕は四個ないし複数のはずであり、四指のうち最も押さえる力の弱い小指の痕跡だけが残るというのも不合理である。また、Bの左腕を押さえたという被告人乙の供述自体も前後変遷がある上、Bの抵抗を制圧しながら声を出させない方法としては、不自然であって信用できない、というのである。しかし、Bの左上腕部に残る右傷痕と被告人乙の供述内容が、客観的に良く符合していることは動かし難いところであり、所論指摘の点も、犯行時、抵抗が弱いとはいえBの方も必死にもがくなどその身体に様々な動きのあったことは容易に推測できるし、同被告人の記憶も、ごく短時間における双方のさまざまな動きの一部分に関するものであることを考え合わせると、その供述内容に多少の変更のあることも格別不自然ではないから、原判決の認定判断に影響を及ぼすものではない。

3  被告人乙の五月一六日付け司法警察員に対する供述調書、松山和正作成の鑑定書、原審証人eの供述によれば、被告人乙が、Bを掛け布団の上で絞殺した際、小便の臭いがした旨供述したため、押収してあったBの掛け布団を改めて鑑定した結果、右布団から尿反応が認められた。

4  被告人乙の右調書、右証人eの供述、斉藤紀美雄作成の実況見分調書によれば、被告人乙が、土足のまま被害者方に入った旨供述したため、紫外線撮影をした結果、Bの布団から足跡が現れた。所論は、右の足跡が被告人乙のものと同一か否か不明であると主張するが、同被告人の供述によって右の足跡が現れたという事実自体が重要であるから、所論は当を得ないものである。

以上のような被告人乙の供述内容及び捜査経過に照らすと、同被告人が率直に自分の体験した事実を述べていることが認められる。その他、所論が指摘する客観的事実との不一致、被告人甲の供述内容との不一致、供述内容の変還及び不自然、不合理についても、既に、前記第三被告人甲の自白の信用性に対する判断の項で示した通り、いずれも被告人乙の自白の信用性の判断に影響を及ぼすものではない。また、被告人乙が取調べ当時精神病にかかっていたと認めるべき形跡のないことは、既に示したとおりであるから、これを前提として被告人乙の供述調書等の信用性を否定する所論も採用できない。

第五  被告人甲の供述調書中に存する秘密の暴露に当る事実を肯定した原判決の説示を論難する主張(控訴趣意第四の一ないし五)について

所論は、原判決が、被告人甲の自白中に認められる秘密の暴露に当たる例として説示する①記念硬貨の存在②下見の際の落輪の事実③犯行後にすれちがったという人物の存在④不燃物集積所に現実に手提げ金庫が捨てられていた事実は、いずれも、被告人甲の自白によって初めて捜査官が知ったものではないから、秘密の暴露には当たらないばかりでなく、右の各事実が客観的に存在していたとはとうてい認められず、原判決の右認定は、事実を誤認したものである、というのである。

しかし、被告人甲の自白中に存する秘密の暴露に当たる事実として原判決が説示するところが正当であって、当裁判所もこれを支持できることは、既に前記第三、二1秘密の暴露の存在についての項で判示したとおりであるから、所論は採用できない。

第六  被告人甲の自白を補強するものと認めた原判決の説示を論難する主張(控訴趣意第四の六)について

所論は、原判決が被告人甲の自白を補強する事実として説示する①被害者方二階踊り場の窓ガラスが割れた原因②被害者方に侵入する際、玄関に鍵がかかっていなかった事実③被告人が同房者に犯行を認めている事実は、いずれも、証拠上そのような事実が存在したとはとうてい認められない、というのである。

しかし、右の各事実が、被告人甲の供述の信用性を補強するものとした原判決の説示が正当であり、当裁判所もこれを支持できることは、既に、前記第三、二2(二)(三)及び3(二)の項で判示したとおりであって、所論は採用できない。

第七  アリバイの主張を否定した原判決の認定判断を論難する点(控訴趣意第五)について

所論は、要するに被告人甲は、本件犯行が行われた三月二〇日深夜から翌二一日未明にかけて、自宅で「キャバレー○○」のホステスひとみことMと会っていたから、本件の犯人ではない旨主張し、被告人両名も原審公判廷で同旨の供述をしている。

そこで、この点について検討すると、被告人甲の右供述によれば、同女は、妊娠中絶のため入院していた産婦人科病院を三月一四日ころ退院し、その後同月一九日ころ、被告人甲方を訪れ、休んでいた店に出勤するなどと話し、被告人が、しばらく休暇をもらって休むよう勧めたのに対し、同女は、店長には世話になっているから、そうもいかないなどと答えており、同月二一日の午前零時過ぎに同女と会うに先立ち、被告人甲が店に電話したら、同女は出勤しているということだった、というのである。しかし、原審証人lの供述によると、同女は三月一五日から同月一九日まで同店に出勤し、同月二〇日及び二一日は無断欠勤していることが認められる。被告人甲の供述は、右の事実に合致しないばかりでなく、被告人自身、捜査段階では、警察官に対して右アリバイの事実について何ら弁解をしないばかりか、同女と会ったことはない旨強調している事実に照らして信用し難い。

所論は、被告人甲が捜査段階で右アリバイに関する供述をしなかったのは、店の方でホステスと従業員との個人的交際を禁じており、同女に迷惑がかかることを懸念したためである、というのであるが、原判決も説示するとおり、現に重大犯罪で取調べを受けている被告人甲としては、身の潔白を証明するためには、同女が被るかも知れない多少の迷惑などを顧慮していられない立場にあったことを考えると、右の理由は不自然でとうてい納得できるものではない。そして、原判決が、被告人甲の前記供述に沿う原審証人Pの供述を信用できず、その他全証拠によっても、被告人ら主張のアリバイの成立を認められないとした判断は、当裁判所も正当として是認することができるから、所論は採用できない。

第八  日光事件と本件との関連性・類似性の不存在を理由に本件犯行の可能性を否定する主張(控訴趣意第六)について

所論は、日光事件については、その動機、犯行を決意するまでの経過、犯行準備、犯行態様のすべての点で、本件との関連性が全く存在せず、日光事件の一〇日前に本件を行ったとは、とうてい認められない。また、両事件の間には、下見の有無、準備した道具、犯行態様及び奪った金品の処分状況その他犯行後の被告人らの行動など、すべての点で全くその様相を異にしており、およそ、同一の犯人による犯行とは考えられない、というのである。

しかし、関係証拠からも明らかなとおり、日光事件と本件との間には、いずれも、二人組の犯行であること、深夜人家に侵入した上で家人に危害を加えていること及び犯行の発覚を免れるための時限発火装置的な発想による放火工作が見られることなど、極めて似通った特色のあることは動かし難い事実である。このような基本的事実関係の共通性と対比すれば、所論がるる指摘する諸点も、両事件の犯人が同一人ではあり得ないとする論拠となるものではなく、所論はとうてい首肯できるものではない。

第九  本件の客観的事実関係から導かれる犯人像に照らして被告人らが犯人ではあり得ないとする主張(控訴趣意第七)について

所論は、以下のとおり主張する。すなわち、本件は密室における殺人事件である。しかも、室内には物色の跡も、争った形跡も認められない。居住者二名が全員、いずれも通常の就寝状態のまま殺害され、苦しんだ様子が全く見られない。そして、犯行を隠すための放火工作も、専ら殺害という事実と犯行時間だけを遅らせることを目的としている。このような客観的状況から推認される犯人像は、被害者らを事故死と見せかけることによって利益を得るとともに、犯罪であることが判明すれば、当然に疑われる立場にあるため、犯行時間を遅らせることによってアリバイを作る必要のある者であり、また、物取りではなく、顔見知りの者による犯行であると考えられる。被告人らがおよそこのような犯人像から程遠いことは多言を要しない。事実、被告人らの自白に不自然、不合理な点が多いことは、既に主張したとおりであり、また、本件では、被告人らの自白によっては解明できない謎が数多く存在するのであって、これらの事実を解明できる者こそ犯人と言わなければならない。本件では、被告人らの自白と時を同じくして、Aも自白している。同人の自白と被告人らの自白とを対比すると、被告人らの自白内容が五月八日付けの自白調書からも明らかなとおり、あいまいもことしており、客観的証拠とも大きく矛盾しているのに対し、Aの自白内容は、すこぶる具体的である上、遺体及び室内の状況、台所に包丁が見当たらない理由、火災発生に至る仕組み及び延燃の順序など、多くの点で客観的事実に合致している。被告人らとAのいずれが犯人らしいかは一目りょう然であって、事件当日の同人の不可解な行動も犯行のアリバイ作りの疑いが強い。ところが、同人は犯人として起訴されなかった。少なくとも、Aの自白も被告人らの自白も、その信用性の点では、同価値であるのに、被告人らの自白だけが信用でき、被告人らが真犯人であると考えるのは、明らかな誤りである、というのである。

しかしながら、既に述べて来た理由によって、被告人らの自白には、いずれも信用性が認められるのに対して、Aの自白の信用性については、以下のとおり数多くの疑問点が存在することが認められる。すなわち、関係証拠によれば、Aに対しては、埼玉県警も当初から一応の容疑をかけて追及した結果、同人は自白したものの、手提げ金庫についての説明が全くできないこと、自白している凶器の種類(電気ギターのコード)や絞頸の方法が被害者両名の頸部の索条痕と一致しないこと、踊り場の窓ガラスの割れた理由について説明できないこと、犯行後の逃走方法についての裏付けがとれず、特に、野菜をばら積みしたトラックに乗せてもらったという供述は事実に反する疑いが強いこと、持って逃げたという預金通帳や印鑑が見当たらないこと、当夜の宿直先である会社に戻らず、わざわざ遠い世田谷の間借り先に戻ったというのは理解し難いことその他数多くの疑問点があるため、同県警では、いまだAを犯人と断定できずにいたところ、被告人らが自白するに至った経過が認められる。そして、右の事態を迎えた同県警が、当初は、被告人らの自白についても半信半疑であったものの、相次いで日光警察署に出向いた捜査官らの得た心証を基に、双方の自白内容を比較検討した結果、Aの自白では解決できない多くの疑問点が、被告人らの自白によって一挙に解明されるに及んで、同県警の見方が大きく被告人ら犯人説に傾くに至った経過については、既に判示したとおりである。

所論は、Aの犯行当日の不可解な行動は犯行のアリバイ作りの疑いが強く、また、同人が虚偽の自白をするに至った理由について述べるところも信用できない旨主張する。しかし、同人が連絡を受けながら直ちに自宅に駆けつけなかった理由は、会社の規則に反して帰宅していた事実を知られたくないためにとった行動であることが認められる。所論のように同人の行動が犯行のアリバイ作りであるとすれば、犯行後わざわざ遠い間借り先までいったん戻り、連絡を受けた後改めて関係者の疑惑を招く恐れのあるその後の行動に出たことになるが、これは真犯人のとるべき行動としては、なお、一層納得し難いところである。また、当審公判廷における同人の供述態度を見ると、表現力の乏しさに加えて、質問内容の理解力も低く、やや複雑な質問に対して答えに詰まり、質問者の誘導によってたやすく供述内容の動揺する傾向が窺われるのであって、捜査官の追及に対し、容疑を晴らす説明がうまくできず、次第に追い詰められた心境になるとともに、家族を殺害されたこともあって、半ば自暴自棄の気持ちから虚偽の自白をするに至ったという同人の供述もうなずけるものがある。このようなAの自白内容を被告人らの自白内容と比較検討すれば、その優劣は自ずから明らかというべきであって、Aの自白が信用できないのであれば、同様に被告人らの自白も信用できないという所論は、とうてい採用できるものではない。

以上のとおりであって、被告人らの供述調書等の任意性及び信用性を肯定し、他の関係証拠とあいまって、原判示「罪となるべき事実」第二の事実について、被告人らを有罪とした原判決の認定判断は、正当であり、これを論難する所論は、すべて失当であって、論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件各控訴をいずれも棄却し、刑法二一条により被告人乙に対し、当審における未決拘留日数中一三〇〇日を原判決の本刑に算入することとし、刑訴法一八一条一項ただし書により当審における訴訟費用を被告人両名に負担させないことにして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官新谷一信 裁判官荒木勝己 裁判官上田幹夫)

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